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2024/06/10 03:38
私は小学5年生の時でした。
母親や身近な親戚たちは特に耳飾りをしていなかったので、
親族からの影響ではないんです。
実は、当時ハマっていたプレステのゲーム、
「テイルズオブディスティニー」の
仲間→敵となった”リオン”というキャラクターの影響でした。
↑ 左耳にだけ、
デザインで言うと、ストレートバーのシンプルなピアス。
私が育った北海道の道東、羅臼では
カラオケもコンビニもなく、子供にとっての娯楽は公園くらいしかありませんでした。
なので、テレビアニメや漫画、ゲームは最高の遊び相手。
ゲームの影響で、私も当時は左耳だけ
自宅の2階にある洗面台の前で、耳たぶを冷やすことを知らずに、
多分1時間くらい格闘して
安全ピンで貫通させました。
今考えたら、当時はスマホとかネットとかなかったし
調べる術もないから、手ごろなもので開けられそうだから開けた、
そんな感じです。
「親からもらった体に傷をつけて😨」
なんて言葉がありますけど、
私小学4年生の時に肝臓摘出の大手術してるんで、
その理論はまったく響かなかったんですよね。
「いや、腹バッサリ切ってるし」
ってツッコんでたくらい。
ピアスは、当時めちゃくちゃ流行っていた
「サン宝石」から通販で購入し、
樹脂ピアスでたまに付けていました。
ただ、小5ですでにテニス部にいた私は
部活の時にはつけられないので(怒られるから)
週4日、スポーツ少年団のテニスに通っていて
ピアスをつけられない日が続いたりして
何度もピアス穴がふさがりました😂
(何度も開けたんかーい(笑))
右耳を開けたのは、25歳の時。
ずっと片耳ピアス生活でしたが、
それで満足していたんです😂
これもまた話すと長くなるんで、又にします👍
ピアスの正しい開け方を知らずに安全ピンで何度も開けたおかげで、
私の左耳の裏側は、傷跡だらけ💦
おかげで私は常にピアスというオシャレを楽しむことが出来ましたし
現在、耳飾りを中心にアクセサリー作家をやっています。
来週で私は37歳になり、
ピアス歴はかれこれ26年。
思春期から今までずっと、共に歩んできたけど
当時のピアスは一個も残っていません。
お小遣いで買える安物だったんで、そりゃそうなんですけどね。
20代の頃つけていたピアスを、
32歳となった出産後、久しぶりに付けようと開けてみたら、
全部錆びてました…
会社につけていくために、毎月買っていたけど、
当然、2000円くらいの安物ばかりだったから
劣化しない方がおかしいんですよね。
安いもので失敗した経験があるからこそ
この年になると、安物には安いだけの理由があると分かってて
めったに手を出さなくなりました。
だからこそ、しっかりとした素材で
ザビにも強い、皮脂にも強い、耐久性のある素材を求めてきたら、
医療用メス、器具などで使用されている【サージカルステンレス】に辿り着き、
さらに現在は、一部
純銀シルバー925、18金ゴールドを扱い、
プラチナという素材まで商品化するところまで来ました。
いつまでも安心して使えるジュエリーを。
長年ピアスヘビーユーザーだった私が
辿り着いた理想の形。
みなさんに支えられて今があります。
一人一人のお客様にありがとうを言える機会が、
ネットショップでご購入いただいた時のお手紙でしか
直接伝えることが出来ないのがもどかしいですが、
今日もどこかで私の作ったアクセサリーをつけてくれていると思うと
また頑張ろうと思えるんです。
いつも、ありがとうございます🥰
これからもKomari.jewelryは、みなさんと一緒に
歩み続けていきます💖
今後とも、よろしくお願いいたします。